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30件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1977-03-23 第80回国会 衆議院 地方行政委員会 第5号

権藤委員 資産の再評価につきましては、あの戦後の敗戦経済から安定化を目指しまして今日まで努力を続け、そして充実を目指してきておるわけであります。そういうような中で資産評価法あるいは企業資本充実のための資産評価等特別措置法というものが立法されて実施されてきたことは御承知のとおりであります。それ以来二十年、今日の経済というものは高度な成長を遂げてまいりました。

権藤恒夫

1974-03-30 第72回国会 参議院 予算委員会 第20号

それで朝鮮戦争が終わるまで、戦後の第一期、昭和二十八年、二十九年までは、日本経済は全く国際的には見るべきもののない敗戦経済状態でございました。  それでどうにもならないということで、だんだん国際競争力をつけるということで、経済力集中排除法が廃止になり、それから今日までずっと続いてきたわけです。で、その結果、国際競争力もできましたし、日本輸出も強大になったし、戦後の経済復興も行なわれた。  

田中角榮

1974-03-11 第72回国会 衆議院 予算委員会 第30号

とにかく、昭和二十年からの敗戦経済でどうにもならないような状態だったときには、これは国民に職を与えるとか、生産性を上げなければならないとか、また国際収支充実させなければならないとかいうことで、ある意味傾斜生産ということで、生産に重点を置かなければならなかったということは当然でございますが、しかし、その後もあえて高度成長、超高度成長を目途としたものではなかったわけでございますが、二十九年から三十九年

田中角榮

1974-02-01 第72回国会 衆議院 予算委員会 第9号

足かけ三十年間の政治を振り返ってみましても、とにかく第一次の十年間というものは、敗戦経済でもって、生きるにやっとだったでしょう。それから第二次の二十九年から三十九年までは、一〇・四%の平均成長率を遂げながら、とにかく職場を与えて、先進工業国の中では一番に失業率の少ない日本を築き上げたことは事実です。

田中角榮

1974-01-28 第72回国会 衆議院 予算委員会 第7号

田中内閣総理大臣 いままで高度成長といわれておりましたが、これも超高度成長とか高度成長と言ったわけではなく、やっぱり国民所得を上げなきゃいかぬとか、社会保障を拡充しなきゃならぬとか、戦後の敗戦経済から脱却しなきゃならぬとか、それなりの理由を掲げておったわけであります。ところが、政府が企図した、一〇%ぐらい伸びると思ったものが一六%伸び、一五%伸びると思った民間設備投資が二六%になった。

田中角榮

1974-01-24 第72回国会 衆議院 本会議 第10号

ただ、第一の敗戦経済から第二の自立経済を越して、今度は国際経済であって、自分だけが太るようなことが許されないときになったのと、東南アジア友邦諸国に対しても、日本肥料を削っても東南アジアに対して肥料輸出しなければ、東南アジア友邦食糧事情日本以上に困難なんですと、こういう状態日本が置かれておるのでありますから、だから日本は、そういう国際的な現実を踏まえて、日本産業構造も徐々に変えてまいらなければなりません

田中角榮

1974-01-23 第72回国会 衆議院 本会議 第9号

それは、戦後非常に困難なときにアメリカの資金の援助を受け、そしてアメリカ技術協力を受けて、敗戦経済から自立経済に、そして国際経済発展をしてきた過程においても、経済の交流が拡大するとともに、日米間にも摩擦があったことは御承知のとおりであります。それだけではなく、インドネシアにおいて起こった自動車をひっくり返した何十倍もの自動車を焼いた歴史もございます。

田中角榮

1973-07-12 第71回国会 衆議院 決算委員会 第22号

国内においては、二十七、八年の戦後を顧みますと、口では敗戦経済、自立経済国際経済へと三段飛びをしたということが言われておったわけでありますが、現実の問題としては、この一年間がほんとうに国際経済への突入ということが具体的な問題となってあらわれてまいったという感じがいたすわけであります。

田中角榮

1972-11-02 第70回国会 衆議院 予算委員会 第2号

今度は量から質へ、敗戦経済から自立経済へ、自立経済から国際経済へ、量から質の時代に転換をする場合に、いままでの政策でよかったかどうかという問題に逢着しているのであります。だから、いままでのように国民生産国民所得を上げて、輸出倍増政策というものがとれてきたのは、明治から百年の流れの中でであります。

田中角榮

1972-03-28 第68回国会 衆議院 商工委員会 第6号

ですから、まあ日本のように二十九年まではほとんど敗戦経済でどうにもならなかったということではないのですから、地盤ができた上に沖繩の向上をはかれるわけでありますから、スピードアップはされることは事実でありますが、五年で私は理想的なものができるというのはなかなかむずかしいとは思うのです。

田中榮一

1971-12-11 第67回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第12号

もう一つは、沖繩でいま一番問題になっておりますのは、基地も縮小しなければならない、基地経済から脱却しなければならない、まさに敗戦経済から自立経済へ、そして国際経済へと、三段飛びした内地の二十年前と同じような感情に立っておるのが沖繩県民皆さんだと思います。それはしかし、現実的に基地経済から離れて自立経済というものになるには、働く場所を提供しなければならないわけであります。

田中角榮

1971-11-02 第67回国会 参議院 予算委員会 第3号

そういう意味で、敗戦経済、自立経済国際経済三段飛びをなす過程においては、IMFの十四条国であり、その場合、やむを得ず、日本国際収支逆調のときは為替制限ができるという恩典を受けてまいりましたが、各国の要請あるなしにかかわらず、日本自由化を進めなければならないということは当然のことでございます。

田中角榮

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